品川”裏”百景#5 : 高村智恵子記念碑・レモン哀歌の碑(大井町・ゼームス坂)

現在私が暮らす大井町のゼームス坂界隈。今年で住んでから20年の歳月が経ちました。
もともと品川区に縁があったわけではなかったので、これから住もうと思う物件を探している時に、まずこの街の歴史に触れることになります。
ゼームス坂という名称の由来は?あたりは真っ先に情報として飛び込んできます。ゼームスさんという奇特な方がいて、私財を投じて、急坂だった坂をならしてくれたことに感謝して、彼の名前がついたこと。そしてかつて、ゼームス坂病院という病院があって、そこに詩人高村光太郎の妻智恵子が入院していて、終焉を迎えたことを知ります。
そうです、高村光太郎。国語の教科書で彼の代表作『智恵子抄』を習いました。この地に縁があったということで感慨ひとしおでした。
ゼームス坂を下っていき、ドラッグストアー(三越ゼームス坂マンション1F)を左折して少し歩くと、その記念碑があります。しながわ観光協会のサイトで解説されているのでその一部を紹介します。

高村智恵子記念碑・レモン哀歌の碑 (しながわ観光協会)
  • 高村光太郎(1883-1956)の妻智恵子(1886-1938)が入院したゼームス坂病院があった場所に、品川郷土の会の手で建てられた記念碑が建てられている。
    碑は幅92.7cm 高さ150cm 奥行286cmの御影石。この高さは智恵子の推定身長にあわせたという。碑には、智恵子の臨終を詠んだ光太郎の「レモン哀歌」が刻まれており、碑の前には、いつもレモンが供えられている。
  • ゼームス坂の途中にあった「ゼームス坂病院」は、詩集『智恵子抄』で有名な高村光太郎の妻、智恵子の終焉(しゅうえん)の地である。
    高村光太郎は、彫刻家高村光雲の長男として東京で生まれ、彫刻家・詩人として活躍した。その妻智恵子は、福島県二本松の裕福な造り酒屋に生まれ、日本女子大学を卒業後、絵画を学ぶうち光太郎と知り合い、大正3年(1914)に結婚した。智恵子は、そのころには珍しく社会的自立を目指す女性で、絵画の創作を単なる趣味ではなく、経済的自立の手段と考えていた。しかし、結婚後は、思うように絵が描けず、また、父の死や実家の没落も打撃となって、智恵子は次第に精神を病むようになる。光太郎は仕事を減らして看病に専念したが、病状は、すすむ一方で、昭和10年(1935)にはゼームス坂病院に入院した。この病院で智恵子は、今まで抑(おさ)えられていた創作意欲をはきだすかのように切り絵に没頭し、一千点もの作品を残す。しかし、遂(つい)に退院できぬまま、3年後に生涯を終えた。ゼームス坂病院は、戦後まもなく取り壊されてしまったが、その跡地の一角に、記念碑「レモン哀歌の碑」が建てられている。
    1938年智恵子が死ぬ数時間前にレモンを口に含んだときの様子が光太郎の詩「レモン哀歌」に見事に描かれている。この日10月5日は「レモンの日」と名づけられている。

レモン哀歌の碑

高村智恵子記念碑

いつも供えられているレモン

ゼームス坂の歩道に案内看板があります

裏百景#5 : 高村智恵子記念碑・レモン哀歌の碑

訪問日時:2017年7月5日
撮影:iPhone6sカメラ
場所:品川区南品川6-7-30
最寄駅:JR京浜東北線東口または西口、東急大井町線、りんかい線「大井町駅」路上より徒歩8分
紹介ページ:高村智恵子記念碑・レモン哀歌の碑(品川観光協会)